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2018年02月

秋篠宮家の長女眞子さまと婚約が内定した小室圭さんが勤務する東京都中央区の奥野総合法律事務所・外国法共同事業によると、小室さんは約20人いる一般事務員の1人として勤務しており、得意の英語を生かし、契約関係の書類などの英訳を担っている。事務所の幹部は、「真面目でどんな仕事も嫌がらず引き受ける」といい、お茶入れや電話応対なども積極的にこなしているという。

「“小室さんの仕事に支障がない”ということで、ふたりで相談して日取りを決めたそうです。ただ、その日は土曜日。小室さんは弁護士の補助をするパラリーガルとはいえ正社員ではありませんし、勤務日数も週3日ほどだというのにわざわざ休日に設定したのはちょっと…」(皇室ジャーナリスト)

「生活基盤がなくても結婚しようというのは、一般的な国民意識とかけ離れているのではないでしょうか。結婚後、眞子さまがバリバリ働いてお金を稼ぐというのが現実的でない以上、年収200万~300万円前後のパラリーガルとして小室さんが働いている限り、眞子さまが多大な苦労をされるのではないか、と心配する意見があるのです。眞子さまは、経済的にはご実家である秋篠宮家に頼らざるをえないのではないでしょうか」

小室さんが購入した節約本が、注目されている。食材まとめ買い、小分けにして冷凍、豆苗(とうみょう)を水につけて2回収穫、缶詰活用など、2
人で食費を月2万円でおさめる工夫をイラストで紹介している。書店の男性店長によると、この本は先月24日に発売。夕方に来店した小室さんは、料理本の本棚周辺を見て回り、この本を買ったという。

「その後の週刊誌の取材で、小室さんと分かりました。最初は、眞子さまと結婚される方が、節約レシピの本ということで驚きました」と店長。
眞子さまとの新生活に向け、節約レシピを勉強する姿に「大変しっかりした、思いやりのあるお人柄なのだなと実感しました」と振り返った。

一般の結納にあたる「納采の儀」まで1か月を切っていた2018年2月6日、眞子さま小室圭さんの結婚関連行事が、2020年に延期されることが発表されました。

さまざまな憶測が流れるなか、女性セブンが小室圭さんの母の小室佳代さんが宮内庁に金銭要求していたと報道しました。

さらに、紀子さまも眞子さま小室圭さんの結婚に反対している報じており、母同士の衝突が避けられない状況のようです。


【紀子さま唖然】小室圭さんの母が宮内庁に金銭要求していた!母同士の衝突で眞子さまの結婚は?


紀子さまと佳代さんが顔を合わせた機会は、恐らく数えるほどしかないだろう。昨年9月の婚約内定会見の夜、佳代さんは秋篠宮邸で行われた食事会に出席した。

「当初予定されていた佳子さまと悠仁さまは参加せず、どうやらその時には、結婚費用などについての金銭的な打ち合わせがなされたといわれています」(前出・皇室記者)

母子家庭で佳代さんはパート勤務。小室さんはパラリーガルとして弁護士事務所で働く傍ら、大学院に通う学生でもある。日本でも屈指の高級ホテルでの結婚式を予定しているともなれば、「お金の心配」に話題が移るのは当然のことだろう。

だが恐らくその場では、その後に騒動を引き起こすことになる「金銭問題」は語られなかったのではないだろうか。

《眞子さま 嫁ぎ先の“義母”が抱える400万円超の借金トラブル》――12月12日発売の『週刊女性』にそんな見出しが躍った。

紀子さまが記事について直接、佳代さんにお尋ねになる電話をかけられたのは、報道が出た直後のことだったという。

「その後、昨年末と年明け1月中に、佳代さんは1人で説明のために何度か秋篠宮邸を訪れたといいます。本来であれば、騒動を鎮静化する解決策を相談するはずでした。ところが直接お会いになられたことで紀子さまと佳代さんの間に決定的な亀裂が生まれてしまったそうなんです。にわかには信じがたいことなのですが、その場で佳代さんが、“騒動を収めるためにも皇室でサポートしてもらえないか”という要求を宮内庁側にしたというんです。それがどうやら紀子さまのお耳にも入ってしまったようで、これには紀子さまも唖然とするばかりだったといいます」(前出・別の宮内庁関係者)

なんとも驚くべき情報だが、その後事態は前代未聞の急展開となる。

「紀子さまの中で、“眞子さまを小室家へお嫁に出すわけにはいかない”という思いが強くなってしまわれたのかもしれません。眞子さまのお気持ちとは離れたところで、延期へと大きく舵が切られはじめました」

かつて佳代さんの元婚約者は、小室家と同じマンションに住み、小室さんの父親と親しかった。国立音大付属小学校に通っていた小室さんが10歳だった2002年、父親が亡くなり、佳代さんはシングルマザーとなるが、中学・高校ともに小室さんを「カナディアン・インターナショナルスクール」に通わせるなど教育熱心な母親だった。

小室さんが高校生のとき、男性は小室さん親子と親しくなり、「圭さんの父親代わりになれれば」という気持ちから、佳代さんと婚約。両親にも婚約者として佳代さんを紹介していた。この間、小室さんの学費など400万円以上を佳代さんに渡した。男性の知人が言う。

「貸したという認識でした。そうはいっても、婚約者の女性に、契約書に一筆書けとは言い難いところもあったといいます」

事情も重なり、婚約破棄とともに、返してほしいと伝えたが佳代さんは拒否。小室さんもはっきりと「もらったものだと思っている」と答えたという。

手元資金が苦しくなった男性は昨年末、ついに自宅の売却に追い込まれた。



こうした小室さんと男性の金銭トラブルの報道を、

「男性の気持ちは、よくわかります」

と冷ややかに見るのは、佳代さんの十数年来の知り合いというAさんだ。

Aさんは小室さんが幼い頃から交流があった。02年に小室さんの父親が亡くなったときも、佳代さんはAさんに、幾度となく涙を見せた。

「夫が亡くなってどうすればいいかわからない。生活も苦しい」

 そのAさんは、食事をごちそうし、世話をした。さらに佳代さんはこうも訴えた。

「住む場所もなく、親が借りるアパートに転がり込んでいる。夫の実家とも連絡が取れない」

 Aさんは、小室さんの父親の後を追うように亡くなった祖父の遺産相続の交渉を無償で引き受け、交渉相手に手土産なども用意するほど手厚く応じた。交渉はスムーズに運んだが、ことが済むと佳代さんは見知らぬ男性と、Aさんの元を訪ねてきた。お礼です、と茶封筒を差し出し、「遺産交渉から手を引いてほしい」と告げた。

「こちらの親切心を利用されたようで、悔しい思いだけが残りました」

それから15年余、連絡も取っていない。しかし、眞子さまとの婚約報道で、「住む場所がない」と涙ながらに訴えていたはずの佳代さんが、当時から小室さんの父親が残したマンションに住んでいた、と知った。

宮内庁の小室圭さんへの身体検査はなし?

皇族女性の結婚相手とされる人物が、こうしたトラブルに巻き込まれた事例はそうないだろう。「なぜ事前に、トラブルを抱えていないかなどの〝身体検査〟をしなかったのか」という声も世間にはある。直近では、高円宮家の次女の典子さんと出雲大社の跡取りの千家国麿さんの結婚でも、そうした「調査」はなかった。宮内庁関係者が吐露する。

「これまでお相手となったのは鷹司家や近衛家といった旧五摂家や旧華族です。清子さんの夫の黒田慶樹さんは、旧華族ではないが学習院初等科時代から秋篠宮さまの親友。みな身元がはっきりしており、調査の必要がなかったのです」

恋愛は当事者や両家のプライベート。子どもの自主性を尊重する秋篠宮家がそうした依頼を宮内庁にすることもなかったのだろう。

1987年(昭和62年)2月26日の朝、神奈川県藤沢市のアパートで、無残に切り刻まれた死体が発見され、その死体の傍らにいた2人の男女が藤沢北署に逮捕された。

捕まったのは、その部屋の住人で、不動産業のS(当時39歳)と主婦で元看護婦の茂木M(当時27歳)。殺されたのはMの夫で、コミックロックバンド「スピッツ・ア・ロコ」のリーダーの茂木政弘(32歳)と分かった。

悪魔はどこにいた

1987年2月25日夜、神奈川県藤沢市のアパートの一室で、2人の男女が遺体を切り刻んでるのが発見された。

 死体は頭、胴体、足に切り離され、さらにコマ切れにされ、敷かれたシーツは真っ赤に染まっていた。床には肉片が詰められた大量のビニール袋が置かれていた。男はちょうどカッターナイフで頭蓋骨の肉をはぎ、女はハサミで足の肉を切っているところだった。
 通報を受けた藤沢北署員や家族が駆けつけても、2人は一心不乱に作業を続けていたという。

 殺害されたのは横須賀市のミュージシャン・Xさん(32歳)。
 Xさん殺害と死体損壊の容疑で逮捕されたのは横須賀市の不動産業・S(当時39歳)と、Xさんの妻・M子(当時27歳)だった。
「Xに悪魔が取り憑いたので、それを祓うために殺した」
 Sはそう供述した。

http://yabusaka.moo.jp/akumaharai.htm


3人の男女

SとXさんは従兄弟同士。家も2軒隣りだった。子供の頃から仲がよく、XさんはSを「兄貴」と呼んで慕っていた。

 Sは横須賀市の定時制高校を卒業し、家業の不動産業を手伝い始めた。79年には宝石関係の取引で詐欺事件を起こして逮捕されている。その後も詐欺まがいのトラブルを起こしたり、ブラブラしてX家に金を無心しに行くなどしていた。
 Sは横浜市に本部のある神道系の新興宗教「大山祇命神示教会」に入信、Xさんにも勧誘した。

 Xさんは30歳までに芽が出なかったら家業のビル清掃を手伝うという両親との約束で音楽活動を始め、「スピッツ・ア・ロコ」というバンドで83年にデビューしている。2枚のシングルと1枚のLPを出し、横浜を中心としたライブハウスで活躍していた。ステージではメンバーが祖父母、父母、子供に扮するという変わったパフォーマンスをしており、ドラムスのXさんは娘役で女装していたという。Xさんは「和製マイケル・ジャクソン」と評されることもあったようだ。

 M子は中学3年の時、秋田県から横浜に移ってきて、中学を卒業すると、鎌倉市の総合病院で勤務しながら、准看護婦の資格を取った。そして今度は正看護婦の資格を取るために、病院で働きながら県立高校の定時制高校に通って、高卒資格を取った。
 准看護婦として勤務していた79年頃、Xさんの弟がオートバイ事故を起こし、総合病院に入院した。そうしてM子はXさんと出会い、交際を始めた。M子は彼の勧めで「大山祇命神示教会」に入信するようになった。しかし、Xさんの音楽活動が忙しくなってくると、教会に足が遠のき、会費滞納で脱会となった。
 86年4月、XさんとM子は結婚。Xさんの実家で同居したが、病気のXさんの父親を看病するなど、仲良く暮らしていたという。

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救世の曲

86年10月、埼玉にいたSが帰ってきて、藤沢市のアパートを借りた。Sは幸せに暮らしていたXさんとM子の元へやって来て、「この世は悪魔でいっぱいだ。やがて、核戦争が起き、世界は滅亡するだろう」「悪魔を祓い、救世の曲を作れるのはお前しかいないんだ」「自分には神が降りた」などと2人に説き始めた。そうした教義は「大山祇命神示教会」にはない。Xさんはもちろん最初からその話を鵜呑みにしたわけではなかったが、「救世の曲」のことはずっと心に引っかかるようになった。

 テレビ出演も果たした87年、Xさんはバンドのメンバーに「救世の曲」のことを相談する。すでにその頃には解散話も出ていたため、メンバーとの離縁は決定的なものとなった。

「俺の部屋で曲を作れ」
 2月15日、Sにそう言われたXさんは藤沢のアパートにこもり、曲を作り始めた。SとM子も一緒である。バンド仲間やM子の両親が「もう帰ろう」と訪ねて来ても、彼らは耳を貸さなかった。

 2月19日、XさんとM子をSから引き離そうと、事態を深刻に見たバンド仲間やXさんの両親が3人と話し合った。そのなかで、M子は横浜の実家に戻るのがいいということになり、M子もその通りにした。M子の親は離婚するように言ったが、当のM子は「この世を悪魔から救わなくちゃ」とこぼすだけだった。

「ぼくにも悪魔が取り憑いた」
 Xさんがそう言い始めたのは翌20日のこと。M子も実家から舞い戻ってきた。

 2月22日、Sは「悪魔祓いの儀式」が始めた。
 2人はまずXさんの体に塩をすりこみ清めた。
 そしてSはXさんとにらみ合う。Xさんが目をそらせば、悪魔が出ていったということになるが、Xさんは目をそらさなかった。

「悪魔を追い出すには肉体が死ななければだめだ」
 SはM子に手伝わせて、Xさんの首を絞めて殺害した。その後、「救世の曲」をかけっ放しにし、3日間ほとんど寝ずに遺体を切り刻んでいたという。頭や内臓にまで悪魔が取り憑いていると思っていたからである。

 バンド仲間や両親がその異様な光景を目にしたのは25日夜のことだった。

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バンド「スピッツ・ア・ロコ」とは

「スピッツ・ア・ロコ」は、1983年(昭和58年)6月、『キープ・オン・ラブ』『愛論人(アイロンマン)』のシングル2枚とLP『人情』を出し、デビューしていた。ロックではあったが、どちらかと言えばニューミュージックに近い路線で、誰でも楽しめるポップスロックを演奏。

ステージでの彼らはそれぞれ祖父母、父母、子どもに扮して、「家族」を演じ、政弘は娘役の女装をした。このユニークな演奏スタイルが注目され、横須賀をはじめ横浜などのライブハウスに出演するようになった。物珍しさもあってライブハウスはいつも満杯だった。政弘のパートはドラムで、作詞や作曲も担当した。

容貌がマイケル・ジャクソンに似ていて、「和製マイケル」と呼ばれ、1987年(昭和62年)1月、神奈川テレビに出演した。だが、政弘の表情がいまひとつパッとしなかった。自己紹介も小さな声でボソボソ答えるだけで、あとは笑顔を見せず、一人浮いたような状態だった。その後はライブハウスの出演が2、3本あるだけで、メンバーの中には「いつまでもライブハウスでもあるまい。この辺で脱退して他の仕事にでもつく」と言う者も出てきていた。

裁判

判決までに,従兄につき合計3つ(甲乙丙。それぞれ鑑定人を表す),妻につき合計2つ(乙丙)という鑑定結果がそれぞれ異なり,鼎立・対立する各鑑定書が提出されていた。 妻につき,乙鑑定は「三人精神病」で責任無能力,丙鑑定は宗教的支配観念にとらわれ,責任能力は多少の(著しくない)低下(責任能力あり)であった。

従兄につき,甲鑑定は,精神分裂病で,「犯行時,理非善悪を弁別し,自らの行為を人倫に照らして冷静に判断できる自我の能力が障害されていた」(責任無能力)としながら,感応精神病(乙鑑定)に近いが厳密には異なる,側頭葉てんかん(丙鑑定)の点は,脳波及びけいれん誘導薬であるメジマイド賦活の結果からは否定できるとした。 乙鑑定は,「三人(感応)精神病の心因反応状態にあり,責任能力に著しい障害がある」(心神耗弱)としながら,精神分裂病の点は,精神分裂病らしさ(プレコックス感)がないこと,症状は心因反応,詐病で理解可能であるとして否定し,側頭葉てんかんの点は,甲鑑定と同様の理由で否定した。

丙鑑定は,側頭葉てんかん患者で宗教的な支配感にとらわれていた,責任能力は存在していたが,その程度は多少の(著しくない)低下であった(責任能力あり)としながら,被害者を含めた3人が共有した「神の曲」を書くという観念は,感応精神病の定義として要請される「妄想」というよりは宗教的な「支配観念」であったとして感応精神病を否定し,精神分裂病の点は,「連想弛緩」もないとして否定した。

1992年5月13日、横浜地裁は,事実関係を詳細に認定するとともに,合計5つの精神鑑定及び各鑑定人証人尋問の結果も踏まえるなどした結果,いずれの鑑定結果も採用できないとした上で2人とも責任能力ありと判断したことから、従兄に懲役14年、妻に懲役13年を言い渡す。妻は控訴せず確定。従兄は控訴するが、東京高裁で控訴棄却となり確定。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%82%AA%E9%AD%94%E6%89%95%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%A9%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

92年5月13日、横浜地裁は「2人には善悪を判断する能力があった」とする精神鑑定の結果を元に、Sに懲役14年、M子に同13年を言い渡した。

続く信仰殺人事件

この藤沢での事件に続いて、翌3月から5月にかけ、次のような「信仰殺人」事件が続いた。

1987年(昭和62年)3月、千葉県野田市で、新興宗教を信じるA子(当時57歳)が孫で男児のBちゃん(1歳)を絞殺するという事件が起こった。A子が新興宗教に入ったのは1984年(昭和59年)ころで、毎週の集まりにもほとんど欠かさず参加するほどの熱心な信者だった。A子は若い頃、息子と娘を出産後、精神状態が悪くなったことがあるが、年月とともに回復した。ところが、息子のC(当時32歳)のすし店が経営不振になってから、また精神が不安定になった。Cはすし店を閉店し、自分の妻と3人の子どもを連れて、母親のA子と一緒に暮らすことになった。しかし、それ以降、A子は夜眠れない状態が続き、「悪霊がいる」と口走るようになった。一緒に暮らし始めてから数日後の午前6時過ぎ、A子は放心状態で「子どもの悪霊を取り除いた。Bは血しぶきをあげてあの世へいった。みんなで拝め」と口走っていた。驚いたCはBちゃんの布団を上げると、すでに冷たくなっていた。取り調べに対してもA子は、「孫が可哀相」と言ったかと思うと、「家に帰らなくては」と突然、立ち上がったりするなど、精神が不安定であった。

4月14日、長崎県で、両親が見守る中、長女(当時32歳)と長男(当時47歳)が次男(41歳)を殴る蹴るの暴行を加え、出血多量で死なせている。調べによると、長女は自称祈祷師で、次男が炭鉱が閉山になったために3日前に帰省、この日未明、首が痛いと訴えたために「これは狐が取り憑いている。悪霊を祓わなくてはならない」と、長男と2人で次男を押さえつけ、胸や腹などを足で踏みつけたり投げつけたりして肋骨骨折による心臓内出血で死亡させた。午前4時ごろ、次男の様子がおかしくなったので慌てて病院に運んだものの、約1時間後に死亡した。

5月18日、北九州市で、女祈祷師(当時56歳)が自宅で体の不調を訴えた信者を次々と放置したまま死なせた遺体が発見された。死後1年半経った女性(74歳)の白骨死体が見つかり、さらに翌日には、なんと「祈祷で生き返る」と信じていた家族がこの祈祷師に預けていた女性(65歳)の遺体が見つかった。さらに、2日後、白骨化した男の乳児の遺体も見つかった。この日、祈祷師のマンションを訪ねた人が「部屋の中から異臭がする」と警察に届け出て事件が発覚した。祈祷師は事情聴取に対し「自分たちは神の子である。死者を蘇生させる儀式をしていた」「自分は猿田彦の生まれ変わり」と語り、3つの死体と同居し、誰にも知らせずに祈祷を続けていた。祈祷師は内縁の夫(当時57歳)とともに、1982年(昭和57年)ころ、不動明王、大日如来などの祭壇、仏像などを部屋に備えて信仰生活に入り、信者も約8人いた。今回、死体で見つかった2人の女性も信者であった。いずれも病気を抱え、祈祷師宅に熱心に通っていた。遺体で発見された男の乳児の母親も信者で、祈祷師や信者たちの手伝いのもとに長男を出産したが、その際、生まれた長男を祈祷師が「この子は猿田彦の神の子、私に預けなさい」と自宅のマンションに引き取っていた。祈祷師は預かったこの乳児を祭壇の前に寝かせ、おしめを取り替えたり、水やリンゴジュース、重湯などを与えていたが、生後1ヶ月ほどで急死。だが、その死体を祭壇の前に置いたまま、「猿田彦の神が私の体内に入っている。蘇生させる」と祈祷を続けていた。この間、乳児の母親は何度も「子どもに会わせて」という電話をしているが、「神のお告げで誰も来てはいけない」と来訪を拒否、子どもが死んだことも知らせていなかった。

眞子様の婚約者小室圭さんの母親が信者だった事で有名な「大山ねずの命神示教会」は1953年に設立された新興宗教です。 この「大山ねずの命神示教会」は神奈川県横浜市に本部を持ちますが、様々な噂があり、芸能人者や事件の噂についてまとめた記事です

大山ねずの命神示教会とは?

出典: http://aucview.aucfan.com

大山ねずの命神示教会の金バッジ

この金バッジは、大山ねずの命神示教会の中でも希少品のようです。

大山ねずの命神示教会とは、1953年に設立した新興宗教です。信仰対象は「大山ねずのみこと」です。稲飯定雄さん改め供丸斎さんという方が精神疾患の中「大山ねずのみこと」に助けて貰うように言われたらしく風呂屋をやめて横浜に作られた宗教です。

現在信者数は約80万人です。

この宗教の危険性としては

①執拗な信者への勧誘
 この大山ねずの命神示教会に限らず、全ての新興宗教に言えるかもしれませんが、執拗な勧誘する信者はいるものです。
 特にこの宗教は、大山ねずの命が唯一の絶対神であるという教えもあるので、危険が高いかもしれないです。 
 ちなみに教義に「争うな」という言葉があるので、これを実践している信者であれば、しつこい勧誘は病気でない限りしないでしょう。

②お金がかかる
 入会金3万円、年会費1万円、神棚等数十万円、葬儀儀式最低50万円、教本毎週800円等々。他の新興宗教も同様にお金かかる事もありますが、金欠になる可能性がありますね。

③マインドコントロール
 洗脳とよばれるものです。他の宗教に関して客観的にみれなくなったら特に危険ですね。あらゆる事をわかっている上でこの大山ねずの命神示教会という宗教を選択しているなら危険性がないでしょう。

さて、この大山ねずの命神示教会の信者として噂される芸能人をご紹介させて頂きます。

①小室圭さん
 芸能人ではなく、有名人と呼べるかもしれませんね。眞子様の婚約者である小室圭さんの母親は大山ねずの命神示教会信者です。
 親が特定の宗教に入っていると自然とその子供が生まれたと同時にその宗教の信者になる事がよくあり、現在の有無はわかりませんが、小室圭さんの母親が大山ねずの命神示教会信者だったのは本当のようです。

②九重佑三子・田辺靖雄夫妻
 夫婦共に歌手として有名ですね。

③佐野稔さん
 元フィギュアスケート選手で解説者としてもTVに出られている方です。

 確実な芸能人はこの3人だけなのですが、新興宗教という事で、樹木希林さんやゆずの北川悠仁さんも、大山ねずの命神示教会信者では?と勘違いされる方もいます。
 確かに無宗教の人にとっては、どの新興宗教も同じに思えてしまう傾向はあるかもしれませんね。

最後に事件についてです。

①藤沢悪魔払いバラバラ事件
 男2人が警察が来たにも関わらず一心不乱に遺体をバラバラにし続けていた事件。これを起こしたのが大山ねずの命神示教会信者の元信者という事で、危険性が指摘されてます。
 宗教に依存するのは、もともと精神的に弱かったりするケースも多々あり、それを救えなかった、救う力がなかったともいえるのではないでしょうか。

②支部長女性信者暴行事件
 1975年のこの事件をきっかけに、「大山ねずの命」の言葉でなく、人間の大人の事情によって教義を一部変更したようです。

③食中毒
 2000年に職員が集団食中毒になった事件です。食べていいものか悪いものかの「大山ねずの命」のお言葉は降りてこなかったようです。それとも、よく言われる食中毒を起こしたのも人生勉強という事でしょうかね。
 
大山ねずの命神示教会信者は葬儀も行います。霊波の光等新興宗教の中には、葬儀を行わない新興宗教もあります。

葬儀には最低50万円が必要で様々な儀式があります。

大山ねずの命神示教会における葬儀の事を玉納奉寿といいます。この玉納奉寿は、伝道士たる方が神様にお祈りをして、家族、友人、知人が亡くなった人に言葉を贈り称え、神飾りを使い想いを届けるという葬儀方法です。

葬儀の流れとしては、一般的な仏教の葬儀と大差ないですが、通夜を納魂の儀と読んだり、なにかと儀式と絡めているためお金がかがる理由付けになっていると思われます。

この基本的に一般的な葬儀の流れですが、頼めば多少違っても大丈夫だそうです。

大山ねずの命神示教会信者として生活するには、まずお金が必要です。
①入信費用3万円
②年会費1万円
③神棚等数十万円
④教本毎週800円程
です。

これらを基盤に、定期的に授業や行事を通して、神様の話しを聞いたり学ぶ訳です。絶対神は「大山ねずの命神示」であり、毎日午前・午後共に6時にお祈りをします。イスラム教でいう所のアッラーに祈るような感じですね。

行事の中には、農業を学ぶという、一般生活でも役に立つような事もあり様々で、全国に支部があり、それぞれの支部で特徴があります。

小室圭さんは、眞子様の婚約者です。

皇族との結婚という事で、小室圭さんは有名人になってしまいました。本人の性格はもとより、身内の事も調べられ週刊誌に載る事になってしまいました。

大山ねずの命神示教会と小室圭さんの関係は祖母から始まります。小室圭さんの祖母がリウマチで悩まされ、大山ねずの命神示教会信者になる経緯がありました。
お母様も大山ねずの命神示教会信者という事で、小室圭さんも信者では?という噂も流れました。

記者会見では、この大山ねずの命神示教会との関係について聞いてほしいというネットでの意見もありましたが、すでに婚約している訳で、その質問はタブーとされたのでしょう。もっといってしまうとタブーとされ、真実がわからない状態のため、小室圭さん自体大山ねずの命神示教会信者では?とも思われてしまう要因になっているようです。

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